西方見聞録 10 バスラ大学 〜 お茶の時間

なんちゃって紀行



コンピュータセンターの朝は早い、夏は朝7時に仕事が始まり昼の1時で終わる。冬には8時から2時 。



真夏の午後の「熱さ」は半端ではない。2時には気温50度に達する。どれくらいのものかと言えば、解りやすいのは洗濯。その気になれば、念入りに脱水したワイシャツを両手で広げて十数回「パンパン」と熱風の中で振ればそのまま着ていくことも可能なほどだ。このような気候ゆえ優しさの残る朝の空気のなかで仕事をしようと就業時間をずらしている。


季節に合わせて就業時間は変わるが、変わらないひと時がある。
10時半のお茶の時間。

中東で茶と言えばチャイ、強めに煎じた紅茶を小さなガラス製のコップにたっぷり砂糖をいれていただく。だがお茶だけで終わるわけではない、昼食を兼ねている。コンピュータセンターでは職員は午後になるとすぐ仕事が終わるのでいわゆる昼食の時間は無い。夏の朝食は6時頃なので家に帰ってからではおなかがからっぽになっている。そのためこの時間は軽い食事に最適なようだ。女性ばかりの職場である、食べる事には几帳面だ。各々自分で拵えたお弁当を持ち寄り、分け合って楽しむのが日課である。


パン、チーズ、そのほかにおかずを二品三品、そしてサラダ。何のことはない、ちゃんとした昼食だ。

イラクでパンと言えばホブスという薄くて直径が30cm位のもの。このようなパンは西アジアからアフリカでよく見られる。地域ごとにアレンジはあるが基本は同じように見える。ホブスは脂気が少なくパサパサとした感じがする。このため腹にもたれることはない。

もうひとつ、サムーンというパンがある。中東各地で見られるがイラクではひし形だ。硬いパンで一日置いておくとこれで頭をゴツンとやれば血が出るほどの硬さになる。パン粉を作るのには最適だろう。このサムーン、中身の柔らかいところをくりぬいて固い皮の部分を頂くのが彼の地での食べ方だ。日本の食パンを例にとれば耳の部分を食べるというところか。

コーランではパンは神の恵みの象徴。キリスト教でも象徴的にパンはキリストの肉とされている。パンをむやみに捨てたりすることはご法度だ。正しいイスラム教徒なら粗末に扱われたパンを見つけると拾い上げて接吻してから頭の高さに持ち上げて神に感謝しなければならない。固くなったパンも無駄にせず砕いてサラダに混ぜてみたり、いろいろなレシピがあると聞く。しかし私が見たところではサムーンのくりぬいた中身はおおむね捨てられていた。どうやら建前と現実が違うのは日本だけではなさそうだ。

西アジア〜中東〜アフリカでのパンの食べ方には共通するものがある。何かを包むか、挟んでパンと一緒に食する。ホブスもサムーンも適当な大きさにちぎっては肉など脂のきいたものや野菜を挟んでいただくのが美味しい。
 

   

サムーン

ホブス

   
   

おすそ分けに呼ばれた時はイラク料理の見た目と味を一致させる良い機会。職員が色々と教授してくれる。

初めて訪れた国の夕刻、レストランでメニューとにらめっこしている自分を想像してみるといい。
見たこともない食べ物を選び食するのだから勇気が必要だ。闇鍋風に何が出てくるか解らないのも旅の醍醐味だが毎回そういうわけにもいかないだろう。

余談になるが、パン屋が配達しているのを見たことがある。荷車の決して清潔ではない荷台にパンが山と積まれている。時にはポロポロと地面に落ちてしまうが何事もなかったかのように荷台に戻している。最近あるハンバーガー屋の工場での出来事がテレビに出ていた。あれと同じである。多分日本国内でも衆人環視の中でなければ同じようなものだろう。現に「三秒ルール」という言葉もある。

海外が苦手な人にはきっと受け入れがたいものだ。しかし文句を言ってばかりでも始まらないと思えるかどうかが海外の好き嫌いの分かれ目になる。ただレストランなどであなたの食事がそういう扱いをされるのを目にしたらそれは別の話だ。しっかり抗議すべきである。
   
   
   

この女性はウンム・タハ。茶室を仕切る人でタヌーマの住人だ。

名前の意味は「タハのお母さん」。ウンムは母を表し、父親はアブ。子供ができると子の名の前につけて日常の名前とするのが中東のしきたりである。子のいる人間には一定の尊敬が与えられる。妻を養い子を育んでいる事から責任ある人物と見做される。

お茶をいただいていると彼女に話しかけられた。人の言葉とはアラビア語なのだよと言わんばかりの普通の早さで何やら言っている。
職員が通訳してくれる。

「一枚写してちょうだい」

中東で女性、特にスカーフ姿の人にむやみやたらとカメラを向けるのは完全にご法度である。「大丈夫なのか?」と聞くと、彼女が頼んでいるのだから問題になるはずもないと言う。

かしこまって写真を撮る機会も余り無いので一枚残しておきたいのだそうだ。そこで良い場所は無いかと探し回り応接室の上等なカーテンの掛かる窓の傍で写した一枚。ポーズをとるのが上手な人だ。

後日写真を渡すと、やや燥ぎ気味に仲間に見せて回っている。人の素朴に喜ぶ様は見る者にも嬉しさを分けてくれるものだ。

   
   

このような事があったからか、時々世間話になる。小さな信頼は得られたようだ。職員の中にはインドから来ている男性がいた。彼は家族帯同だ。一度、彼の家に招待していただきインド料理をごちそうになったことがある。ウンム・タハはこのインド人のことがお気に召さないらしい。彼が話しかけても無視するばかりで見ていて気の毒になる。どうやらシーク教徒の髭が気に入らないようだ。いつも「あのインド人は病気だよ」と言っていた。


帰国が近づいたある日、職員とお茶を楽しんでいると彼女が、あなたの国はどこにあるのかと尋ねてきた。そこで地図を探してもらい、「ここが日の出る国日本である」と指し示せば何やら困った顔。職員がどうしたのかと聞くと「そこは地の果てだよ、気の毒に」と言う。「そんな何も無い寂しそうなところに帰らないでここに住むのがいいよ。イラクには食べ物も水もある。女は綺麗だしね」と続ける。

彼女は筋金入りの古い世界観の持ち主のようだ。職員のお姉さんが「地球は丸いから果ては無いのよ」と諭すも「では地図はどうしてこのようになっている?」と信念はいささかも揺らがない。私の人生で極東という言葉の意味を「なるほど!」と納得したのはこの日の茶の時間である。ヨーロッパ中心の世界では日本は東の果てにかろうじて張り付いているように見える。


写真や動画の良いところはその向こう側に「思い出」が詰まっている事だろう。だから古い写真ほど大切にしたくなる。もしかしたら色褪せた古い写真ならなおさらかもしれない。時には、写真に刻まれた傷やかすれが記憶をたどる道しるべになることもある。
 
   

 
   

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