西方見聞録 9 バスラ大学 〜 土嚢

なんちゃって紀行



ここは大学、落ち着いた雰囲気の中に戦争の影が見える。



大量の土嚢が積んである。日本でこれを見るのは水害の時くらいだろう。ここバスラにおいては置く場所が異なっている。そして積む量も半端なものではない。大くの人がいる建物ではこの土嚢の山を二重に張り巡らせている。土嚢の迷路を過ぎれば玄関ドアにたどり着くがそのガラスには荷造り用テープが縦横斜めに貼られている。砲撃やロケット弾などでガラスが割れた時に破片が散らばらないようにとの備えだ。

戦時下の街にいる事をここを通る都度思い出す。

   
 
コンピュータセンターの三人娘  

土嚢の前で微笑んでいるのはいわば三人娘で右からレイラ、ハードウェア技術者のカミーラ(名の由来は「完全」)そしてプログラマーでアルメニア系のソニア(知恵)。

カミーラはアラビア女性らしい容貌。少し褐色の肌でアーモンドの形の目がくっきりしている。

イラク人といっても色々で人種が多彩だ。メソポタミアは5000年前から交易の中継地、どれだけ多くの種類の人がいても不思議はない。

イラクに住むアルメニア人は少なくない。金髪で青い目の人をよく見かける。アラブ系も金髪がいるが趣が異なっている。

アルメニアは西アジアの南コーカサスの地域にある。古来交易で繁栄したが近隣のローマ帝国、ペルシア帝国、オスマン・トルコ、ソビエト等に翻弄された歴史を持つこの地の人々は近隣各地に離散していった。

フランスの歌手シルビー・バルタンもそのような人達の一人と言われている。欧州も非常に多くの民族が入り混じっている。

 

   



このように複数の民族が共存する場所の空気感は島国に生まれ育ち概ね単一民族の私達には馴染みが無い。
日本では「あうんの呼吸」が尊ばれ、場の空気に同調するのが美徳とされる。単一の利害関係と似通った思考を持つ集団のなせる業だ。

対して中東のような混成社会では下手に空気を読んでしまうと誤解を生みしばしば騒動に発展しがちだ。だから日本人にはどちらかというと大げさに見えるほどの身振り手振りを交え大声でやり合っては落ち着くところを探し出す。

米国では入国時に「薬物」「爆発物所持」に関わる質問に答える義務がある。「はい・いいえ」の二択である。ここで「○Xも方便」は許されない。返答が真実である事を宣誓する署名を求められ偽証は重大な罪とみなされる。誠実を言葉で示すことの典型だ。
米国は世界一の多民族混成国家である。

日本を一歩出れば「共通の空気」は無い。そして静かにあなたの気持ちを汲み取ってくれる人もいない。言葉が全てである。その言葉も最後の一音まで言い切ることが肝要だ。言動に起因する結果に責任が伴うのは言うまでもない。

海外に出ると性善説・性悪説を考えさせられることが多い。地球上は後者が優勢だが日本は前者のようである。日本人が海外でトラブルに見舞われるのは概ねこのような違いに適応できないのが原因だ。


シーア派・スンニ派、敬虔なイスラム教徒・世俗的イスラム教徒、宗派はわからないがキリスト教徒、インド系イラク人、インドやエジプトからの出稼ぎ契約スタッフなど土嚢の向こうのコンピュータ・センターでは多くの意味で多彩な人々が働いている。

そこに迷い込んだのが社会人駆け出しの、なんちゃって仏教徒。多彩さに貢献である。
 

   
 

 

レイラとセンター長の秘書。

仕事のお相手は主にこのような人達だ。一見楽な仕事のようだがそれなりに難しい。兎に角いろいろだ。

私の役割は顧客が購入したコンピュータの運用のお手伝い、機器全般の稼働維持、顧客によるソフトウェア開発の相談相手、講習会の開催のようなもの。要するに付属品として煮るなり焼くなりお好きにどうぞということだ。

期間は正味2年余り。およそ10年に亘って出張を繰り返す。他にバグダッドとニューデリーの顧客を順に対応すると日本に居るのは年間2〜3か月ほどになる。
このような生活を一言で言うと「出稼ぎ」が一番近い。


最長の滞在は10か月、これはこたえてしまった。現地の食事に不慣れな頃で日本食が恋しくてしようがない。

帰国した空港で早速頂いたのが、かつ丼。余りの美味に耳の下あたりが「ジン」と痛くなったのを覚えている。「餓え」は最高の調味料というが、身を以て体験したのは幸いである。

   
 
   

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