西方見聞録 7 職場はバスラ大学

なんちゃって紀行



バスラ大学はイラク南部の都市バスラにある総合大学だ。



2014年現在、14の学部で構成されておりイラク南部における高等教育の拠点だ。四つのキャンパスがありQarmat Aliにある北キャンパスが本拠地である。当初バスラ大学のプロジェクトに携わった頃、メインキャンパスはTanuma地区で、湾岸戦争の少し前あたりから順次新キャンパスへの移動を進めてきた。

   
 

Qarmat Aliにある新しいバスラ大学北キャンパスへの道

なんだかんだと10年以上に亘って訪問を繰り返したバスラ大学だが新キャンパスを訪れたのは最後の渡航時である。実は移転後のセンター環境整備のためにあと数回の渡航を依頼されていたが湾岸戦争勃発で実現しなかった。

そういうことでこのページの新キャンパスの写真は今のところ私の最後のイラク訪問時のもの。記憶のかけらである。

私個人の事になるがバスラは特別なところだ。

 まだ感受性に富む20代前半に訪れた最初の異国の街として
 また相応にタフな仕事で知見を高めてくれた場所として
 そして伴侶と出逢った街である。

乾いた埃っぽい風が頬を撫でる感覚は体が覚えている。状況が改善され機会に恵まれれば今一度訪ねてみたいものだ。

「住めば都」とは多分こういう事なんだろう。

   
 

新コンピュータセンターの玄関でセンター長・幹部スタッフと

大学との主な係りはキャンパスがTanuma地区にあった時のものだが新旧キャンパスを通じてCollege of Engineering)付属コンピュータセンターと医学部 (College of Medicine)附属病院のIT環境整備に携わっている。

コンピュータセンターでは職員に技術支援を行うのが仕事で具体的にはソフトに関する諸々の題材がその内容だ。大学なので学生で賑やかだ。しかし私が学生と直接やりとりするわけではない。職員の手で運営するのが目的だ。私の役割はお手伝いである。

しかしながら学生との会話が禁じられていたわけではない。休み時間になると学生とサッカーに興じたりしたものだ。中東はサッカーが盛んで、数人集まればどこからかボールが出てくる。休日にはピクニックに招かれてカラカラの砂漠に行ったこともある。

総じてイラクの人は人見知りせず社交的である。朝などはすれ違いざまの挨拶がとても忙しい。

大学職員、明らかに女性が多い。聞けばイランとの戦争のため男は兵役に駆り出されているからだ。そのような男たちがたまに顔を出してはあちこちで愛想を振りまいてはまた出かけていく。


右の写真の長身の青年は網中氏、博多出身の好人物である。

彼にとって初の海外出張だ。緊張している様子なので往路の寄港時、ヒースロー空港で度胸付けを兼ねてホテルへたどり着く方法を調べるよう頼んだところ航空会社カウンターにて英国女性に必死に食い下がっていた。彼にとって実り多い旅になったに間違いない。その後インドにも一緒に行ったことがある。

   
 

マシン室にて

座っている男性はセンター長の DR.ハムザ。湾岸戦争後、客員教授として信州大学に来ていた。ITセキュリティを研究中とのことだったが、その後のイラク戦争を契機にヨルダンに移り住んだと聞く。人生に否応なく変化を強いるのが戦争である。

私の左の女性はMrs.ヒンドゥ、ソフトウェアグループの長。声が大きく押しが強い。大変良い人物である。

黒い装いの女性はスアード、名前の由来は「幸運」。敬虔なイスラム教徒で物静かなプログラマーだ。たいへん聡明そして生真面目である。私が冗談を連発しだすとよく窘められたものだ。

運用周りのソフト開発で頭を突き合わせて作業した記憶がある。私が書いたソースコードの中で英語表記の部分をアラビア語表記にで置き換える作業。帳票のプログラムをでは必須の工程だ。

この黒い衣服をイラクではアバと呼ぶ。イランではチャドル、ニュースなどではヒジャーブと呼ぶことも多い。色は黒が多いが明るい灰色もある。この装いはイスラム教の服装コード(規範)によるもので、厳格な考え方では人前での着用は必須だがオフィスでアバを着用している人は多くなかった。

   
 

仕事の後でスタッフと

この頃のイラクはスンニ派主体のバース党率いる世俗的イスラムの社会主義国家だった。サダム・フセイン大統領の国威発揚の号令の元、宗教色の強くない近代化政策が実施されていた。

そのためか、女性の社会進出が進んでいたとの印象がある。


分類のしかたによるが、写真の人々はアラブ系の人たちの中で3種類に大別できる。敬虔なシーア派イスラム教徒、それほど因習に囚われないシーア派イスラム教徒、キリスト教徒である。

これら写真には居ないがスンニー派イスラム教徒、アルメニア系のキリスト教徒、北部出身のクルド系の人がいる。

民族、宗教、宗派、信仰のスタイルが人の集団を形作っている。多彩だが当時は一定の協調関係が維持されていた。


私の隣はレイラ。名の由来は「夜咲く花」だそうだ。世話好きな人で初渡航時からのお付き合い。戦争での安否は解っていない。

   
   

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