西方見聞録 6 バスラの街 〜 建物と街並み

なんちゃって紀行




バスラはかつて中東のベニスと呼ばれ運河を取り入れた街並みは西洋と異なり、また東洋とも趣が異なる異国情緒溢れる港湾都市であった。
特徴ある出窓やバルコニーを備えた建築様式は中東地域独特のものである。

 

   
Shanasheel様式
  from A Travel Guide - 1982  STATE ORGANIZATION OF TOURISM, IRAQ

Shanasheel様式の建築
  from A Travel Guide - 1982  STATE ORGANIZATION OF TOURISM, IRAQ


これら4枚の写真は古き良き時代の遺産。優雅さがある。

 

   
   

バスラの運河
        Canal in Basra 1913. Photo by Arne C Waern, Sweden

水郷地帯 - マーシュ
  from A Travel Guide - 1982  STATE ORGANIZATION OF TOURISM, IRAQ

   
   
   
   

サダムが見ている道路

 

この写真は1982年、初渡航時 Al-Ashaarのスーク近くの写真。イランの砲撃激しく一週間で逃げ帰る事になった時のもの。


サダム・フセインがこちらを見ている。当時は国中に彼の肖像画が飾られ庶民に睨みを利かせていた。

新聞も一面は彼の雄姿である。この新聞紙の後始末が厄介である。何せサダムの御姿だ、ゴミを包んでポイなどご法度。見つかれば密告されて外国人は国外退去処分。イラク人ならば命に係わる災難に発展することさえある。

つくり話ではない。顧客からも注意を促されたものだ。概ね問題には発展しないとのことだが何かの拍子に他の出来事と不幸な重なり合いがあると、このような事をきっかけにお縄頂戴となるそうだ。

要らなくなった新聞は職場で職員にお渡しすることにした。なおホテルではルームサービスに片づけを依頼すればよい。

何かと野蛮に見えたサダムだが、イラク戦争そして進行中の中東地域の混乱を見れば物事は単純に非ず。ハネ上がり者も独裁者の前ではネコのように大人しくしていた。そしてなによりサダムが居た時代には安全だった。

   
   
 

バスラの民家

右はよくある民家の造りだ。日干し煉瓦のようなもので造られている。煉瓦は夏の暑さを実によく防いでくれるそうだ。

この地の家は外見はぱっとしない。しかし屋内はよく手が入っており床が大理石というのも珍しくない。暑い夏の日、石の床で裸足になればひんやりとして心地よい。

調度品は世代を超えて永く使える重厚なものが好まれている。

日本とは住居に対する考え方が違うようだ。家の寿命は100年
を基本に考えており、20年いくらかを目安とする日本とは求めるものが異なるようだ。

   
   
   
   

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