西方見聞録 5 バスラの街 〜 市場

なんちゃって紀行



港湾都市のバスラは水の恵みが豊かだ。




街はシャット・アル・アラブを中心にもうけられ水資源が豊かだ。潤沢な水は特産のナツメヤシの品質を大いに高めている。砂漠が多く厳しい環境の中東において格別に恵まれた立地条件といえる。サウジアラビアでは水はガソリンより高い。火力発電による電気をふんだんに使う装置で海水から真水を得るのだから本当だろう。中東では水は命ということが身に染みてわかる。

   
 

バスラ中心部

バスラ中心部の地図を見ると、街の東側にシャット・アル・アラブが流れている。西岸の道路がコルニッシュだ。道の傍には日成建設が建築したシェラトンホテルがある。

対岸にはナツメヤシの林が広がっており少し奥に行くとタヌーマ地区である。そこにバスラ大学のキャンパスが広がっていた。大学は1990年代に他の地区に移転している。

シェラトンホテルの西側には目抜き通りがはしり食堂やナイトクラブが道の両側に並んでいる。


ホテルから川沿いに北に向かうと商業地帯にたどり着く。市場がありアラブ諸国ではスークと呼んでいる。バザールという言葉があるがそれはイランやトルコでの呼び名だ。


暑い夏の夕食後、散歩がてら異国情緒豊かな店を冷やかして歩くのも楽しみの一つである。
 

   
 

Basrah - Souk                                  photo by Madivaru

ホテルからそう遠くないal Ashar地区にあるスークだ。


昔風の造りの商店街で建物を見れば相当古く見える。大学で聞いてみたところ伝統的建築物だそうだ。出窓のような構造に特徴がある。

この構造はMashrabiya(マシュラビヤ)またはShanasheel(シャナシール)と呼ばれ多くの中東の都市に見ることができる。これに対応する日本語は「出窓」である。

昔はちょっとした建物なら必ずついていたそうだ。窓が開けば、シンドバッドが顔を見せてくれそうな風情が漂う。


実はこの出窓は毎日見ている。というか宿にそれがある。
投宿先のバスラ・シェラトンホテルのバルコニーが同じ意匠だ。


スークの話に戻ろう。

幅4メートル、200mほど続く道路に雑貨、衣料品、貴金属などの店が犇めいている。店先にも商品が並べられ実際の道幅は更に狭い。

この通りは夜9時にもなると涼しさを求める多くの買い物客が訪れてごった返す。店では量り売りの商品を除き値札は付いていない。お決まりの交渉で値段が決まる。

外国人が「私ハ、コレヲ必要トシテイマス」

という顔で交渉すればカモにされるのがオチだろう。現地適正価格の数倍の値段を吹っかけられても相場がそもそも解らない。

所要のものがあるなら、現地の知り合いに頼むのが無難。
急きょ商人に変身する知り合いの中間マージンもあるだろうが百戦錬磨のアラブ商人に思い切り吹っかけられるより遥かに健全だ。

イラクに限った事ではない。日本を一歩出れば概ねそんなものと考えていれば痛い目にあう事もない。

 

   

スークの貴金属商属商

 

貴金属商のショーケースを見れば黄金色で眩いばかり。

中東では何がなんでもゴールド。ダイヤでないしプラチナでもない。とにかく金。種類豊富で細工も悪くない。デザインは異国情緒豊かで土産にすればきっと喜ばれるだろう。

購入には何の問題もない。しかし..

当時、出国時の税関では外国人が高価値物品を国外に持ち出すのを制限していた。出稼ぎ労働者対策だ。政府が国外に持ち出せるお金に制限をかけた為労働者は換金可能な物品に走る。

何せ出稼ぎだ、当たり前の話である。生活費を切り詰め残した金を家族へ届けようとするのは人情だ。

日本人が日本製カメラを没収された事があった。当時の日本領事館からの情報である。多分税関の役人が難癖をつけてかすめ取ったのだろう。領事が強く改善を申し入れたそうだ。

これに関して領事館から「入国時に身の回りの物品の申告を忘れぬよう。また出国時には金目のものは出来るだけスーツケースの奥深くに入れ目立たぬように」との情報が出ていた。

 

   

バスラの市場場

 

バスラで市場は生鮮食品の供給源だ。

自炊していた時期がある。
ホテルのメニューを何回も繰り返し、街のレストランを征服して久しい頃ホテル一室に仲間と集い自炊することがあった。

粕漬けであったか納豆だったかは今となっては定かでないが、ホテルから苦情が来た。匂いである。

ちなみにラーメンで苦情は無かったがカレーは微妙。

このような欲求不満とつまらない事が重なったことで会社で家を借りてもらう事になる。男の技術者達による海外の自炊生活だ。市場との本格的なお付き合いが始まる。

カリフォリニア産の白菊米やローズ米など日本の米に近いものも手に入るし、キッコーマン醤油もある。

野菜や肉もここで購うが新鮮には見えない。人参を見ればまるで痩せ細って赤いゴボウのようだ。ただしそういう種類なのかもしれない。

   
 

市場のおばちゃん

港湾都市という立地条件では水産物が豊富だ。

魚、エビ、イカは新鮮で食欲をそそる。これに幾つか野菜のネタを見繕えば天ぷらだ。更に冷麦などを合わせれば食卓は日本である。

気温50度近い午後、天ぷらを揚げれば暑さと油に中ってしまう。せっかくの日本の夕食を前に食欲が枯渇してしまった事を覚えている。



市場で売り子といえば年配の女性が多く英語なんぞ通用する気配すら無い。ちなみに写真の女性は若いほうである。

目が合ったりすればこちらが何処の出であろうと関係ない、オーバーな身振りでまくしたててくる。もちろんアラビア語で。


 「外国のカモよ、何か買っていけ!」


と言っているんだろう。異国暮らしはこうでなくてはならない。
それにしてもどこに行っても女性は強い。

   
   

朝食はパン。それにコーヒーがつけばコンチネンタルスタイル。

バターは欠かせない。それにジャムとチーズも。奢って卵料理を添えれば完璧な朝食になる。

バターを求めにスークに行く。大学の職員に頼めば何とでもなるが、何時もそれでは異国で生活している事になりはしない。

しかしながら、結果はハズレであった。
どうやら店の奥にしまってあるようだ。身振り手振りで意図を伝えるのは考えるより難しい。一度家に戻って作戦変更。


国会議員の小池百合子氏が携わった本がある。
この本エジプトの言い回しが基本なのでイラクは少々異なっていた。

例えば「良い」とか「おいしい」は「クワイエス」と書いてあるが、
イラクでは「ゼン」が普通の言い方だ。イラクでエジプトの言い回しをすれば「それはエジプトの方言だ」と笑われる。

バターはアラビア語で「ゼブタ」とある。

スークに戻り、この本を握りしめ

 「イッディーニ・ゼブタ・ミンファドゥラック」
 (バターを一つくださいな)

おばさんと正体不明の会話を交す事しばし、やっと手に入れる。値段は多分に吹っかけられているだろう。しかし前進である。

   
   
   
   

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