西方見聞録 4 バスラの街 〜 浮き橋

なんちゃって紀行



バスラは千夜一夜物語「船乗りシンドバッドの物語」で有名な冒険の起点となった街だ。




2007年時点の人口はおよそ100万。イラク第2の都市である。 (2014年6月時点では、北部にあるモスルが第2の都市だと報道されている)

アラビア湾の奥深く悠久の大河が海に注ぐ場所にあり、古代より交易地として栄えてきた。国の樹のナツメヤシからデーツ、南部油田地帯からは石油、メソポタミヤ穀倉地帯からは米・トウモロコシ等穀物が産出される。パスラはこれらを積み出す港湾都市の機能を持っている。

バスラ近辺だけを見ても東はイラン、南はクウェート、西はサウジアラビアと国境を接しており古来より貿易の中継地点であった。
この地にはアラブ人、インド系、アルメニア系など様々な祖先をもつ人々が住んでいる。人々の肌、目そして髪の色は多彩である。



中東は三大宗教発祥の地だ。その中でイラク南部にまつわる宗教の話に触れておく。

少数のキリスト教徒がいるものの、この地の宗教はイスラム教である。イラク南部ではシーア派の人々が大部分を占めている。

シーア派はイスラム教開祖ムハンマドの弟子で娘婿のアリとその子孫のみがイマーム(指導者)として職務を継承する権利を持つと主張する第2の宗派である。イラク最大宗派のスンニー派によるシーア派歴代イマームに対する弾圧の歴史から双方は対立関係にある。

イマームを絶対的なものとみなす教義で、歴代イマームの中でも特にアリとフセインにふりかかった悲劇的な殉教の尊さ、イマームがやがてマフディー(救世主)として再臨するという信仰がこの宗派の特徴である。今でもナジャフにあるアリ、カルバラのフセインの二つの霊廟はシーア派独自の聖地としてメッカやエルサレムと同列に崇められている。

シーア派の人に「ナジャフ・アリ、カルバラ・フセイン」と言うとたいそうありがたい顔になる。
現地の人が教えてくれた言い回しなのだが、やみくもに口にするような言葉と思わない方がよいだろう。宗教のことで冗談はご法度だ。


一般的なことを言えば、中東の人々は人の世話に気を使う人々だ。ただし日本においてはそのようなことはあまり語られていない。暴力的な出来事ばかりが報道されているのは残念である。



甘いチャーイ(お茶)をいただきながら中東の人と話していると尋ねられることがある。「あなたはどの神を信じているのか?」

ここで「無宗教なもので..」は馬鹿正直というものだろう。神への畏敬を知らぬ不信心者と判断される。教会で婚姻の契りを結び、葬儀では坊主の講釈に眠気を覚え、神社で願をかける我々だが、ためらわず「ブッダである」と答えよう。方便である。



街のお話に戻る。バスラを流れるシャット・アル・アラブは下流でイランとの国境の役目を果たしている。川の向こうは別の国である。

ある人が教えてくれた、「イラクとイラン双方に親族が住んでいる人もいるんだ」

国軍の少佐で名前はジャマール。バスラ近郊出身の好人物でイランに親族がいるという。祖父の時代には自由に行き来していたそうだ。当時まだ開発が進んでいなかったタヌーマ地区はシャット・アル・アラブの東側にある。荒れた地でナツメヤシがあるくらいで当時は住居も多くなく荒涼とした風景の中しばし車で行くとすぐイランである。バスラ大学のメインキャンパスは当時このタヌーマ地区にあった。

※2014年現在、タヌーマ地区は工業地帯、新興住宅地域として開発が進んでいる。


バスラを思い出す中で特徴的なものが一つある。浮き橋だ。

街の中心からタヌーマに行くには川を渡らねばならないがその手段が浮き橋である。毎朝7時と午後2時頃の2回、橋を渡るが潮の満ち干で橋が上下する。特に干潮時が問題だ。浮いている部分は低い位置にあるものの川岸の部分は固定されているので必然的に勾配があり干潮時にその勾配が最大になる。継ぎ目を真直ぐ通過しようとすれば車体が橋の路面に接触するので出来るだけ斜めにやり過ごさねばならない。

またこの橋、常時渡れるわけではない。船舶の通過時に際し橋が切り離される。通過するのはほとんど軍の船舶だがこのような時には渡し船が登場する。ヤギやニワトリと一緒に川を渡ったこともある。

   
   
   

浮き橋

渡し船                from basrahcity.net

   
   
   
   

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